夏よさらば。ヒューロン湖畔にて。
2020年10月4日 オタワにて綴る -
皆さんこんにちは、オタワの天使です♪
今日、この日記を訪ねてくださったことに心から感謝します☆
秋分の日を過ぎ、10月に入りました。皆様のお住いの場所ではどんな季節の変化が感じられますでしょうか。オタワの天使の小窓からは、これを書いている瞬間にも、黄色に色づいた木の葉が一つ、また一つ、ひらひらと宙を舞って窓の外を過ぎていきます。とても静かで、さりげなく、まるで私たち人間や動物たちに気づかれないようにそうっと散っているような感じがします。庭ではリスたちが走り回って、食べ物集めに精を出しているようです。植物たちも、動物たちも、人間たちも、いよいよ冬支度ですね。
さて、秋分の日の週末、日曜日から月曜日にかけて、私はハウスメイトと、ハウスメイト一人の以前のハウスメイトたちとともに、ヒューロン湖にある、ブルース半島(Bruce Peninsula)というところに一泊二日でキャンプ旅行に行ってきました。
皆さん、ヒューロン湖ときいてピンときますか?これは、かの有名な五大湖のひとつ、東から数えて三つ目、ちょうど真ん中に位置する湖です。地図がお手元にある方はぜひ見つけてみてください。五大湖はカナダとアメリカの自然国境をなしていて、対岸はアメリカです。とはいえ、湖がまるで海のように巨大なので、人の目では対岸は見えないことがほとんどですが。トロントがあるのがオンタリオ湖畔、そして皆さんもご存じの有名なナイアガラの滝はちょうどオンタリオ湖と、その隣のエリー湖の結び目にあります。エリー湖のそのまた隣にあるのが、今回私たちが行ったヒューロン湖です。
ブルース半島国立公園(Bruce Peninsula National Park)はオタワから車で約8時間かかる場所にあります。そんな遠くに行くからには2泊しようという声もあったのですが、私を含め、数人の参加者がすでに仕事の予定が入ってしまっていたのと、私たちはキャンプは初心者だったので、この二つの理由から今回は一泊のキャンプ旅行となりました。
目的地での時間を最大にするため、私たちは夜中の2時にオタワを出発しました。夜間ドライブの旅です!
出発前の金曜日、私はいつもの大学の友人と川辺で会ったときに、その旅行の計画と、夜に出発する旨を告げると、彼女はとても心配して、自身が以前家族で早朝車の旅をした時に遭遇した事故の話を事細かに話して、それを避けるためにできることをリストにして伝えてくれました。特に大事な点は、同乗者の最低一人は常に起きて話をすること、活発な音楽をかけること、スナックを用意すること、こまめに休憩をとることでした。
この話を受けて、私は旅の間眠らなくてもいいように、出発の日の午後、長めのお昼寝をしました。一緒に行くハウスメイトの一人にも
「というわけで、私は眠らないことにするから!」
と宣言。
いよいよ出発の時間がやってきて、今回は家に残ることを選んだハウスメイト二人に見送られながら、私たちは荷物がパンパンに積み込まれた車二台で出発!いつものように高速で出発して、運送トラックに囲まれながら、私たちはずんずんと南西へ進路を切ってゆきました。
午前3時過ぎ、私は両腕両足に寝袋の丸い袋を抱えながら、目が閉じていくのを感じました。何度も目を開けようとしても、その努力も空しく、私は車の中のもう一人の子とともに眠りの世界へと落ちてゆきました。車2台の旅行だったので、割と頻繁に運転手どうし電話をかけあい(ハンドフリーの電話)笑い話を交わしたり、休憩の予定を話し合ったりしているのが眠りの合間にきこえ、私は意識が飛びながらも「この人たち、眠気も感じさせずすごいなあ」と感服しました。結局、運転手のほかに、二人、まったく寝ずに夜を過ごしました!いつも9時半に就寝している私にはとても真似のできないことだと、これまた深く感服しました。
午前5時半、私はいつもの起床時間になって、目がパチリと開くのを感じました。外はまだ真っ暗で、ちょうど車が休憩の場所に寄ったところでした。それはあたりに何にもない場所にある、ガソリンスタンド兼お店(日本のコンビニのような感じ)で、中には人がたった一人で勤務していました。ハウスメイトが「たぶんインドの人だ」と口をそろえて言いました。話さなくても、自分と同じ国から来た相手は直感でわかるものですが、きっとそれだったんだろうなと思います。トイレをお借りして、ポテトチップスを口に入れて、再び出発。
ほどなくして、私たちはたくさんの車に囲まれました。トロント圏に突入したのです!視界に明るい大都市が入ってきて、午前6時頃、私たちはトロントのあたりを通過しました。まだ夜明け前の暗闇の中、高速から見る大都市の様子はなんだか神秘的でした。
午前7時。私たちは都会エリアを過ぎ、再び道路は落ち着きを取り戻しました。でも、何かが新しい感じがして、外を見やると、いつの間にか、風景が一転していました。昇る朝日に照らされて浮かび上がってきたのは -
広大な畑と、背の低い木々たちが風に吹かれる様子。そこは丘陵地帯で、道路は何度も上がったり下がったりを繰り返しました。私は体の奥がワクワクするのを感じました。
「いよいよ、ヒューロン湖一帯に突入したんだ!?」
金色の朝日が私たちの車の中にも到達し、私たちは目の前に広がる新しい景色に見とれながら、しばし沈黙して外をじっと見つめていました。
それからさらに3時間後、私たちはとうとう目的地に到着しました。その場所の名はブルース・トレイル(Bruce Trail)で、その駐車スペースを探しているとき、目の前に木々の間から湖が姿を現しました!ヒューロン湖です!!
「湖が見えるよ!」
私は皆に向かって叫びました。
その日、私たちはヒューロン湖のジョージア湾(Georgean Bay)を二つの視点から拝みました。一つ目は、ブルーストレイルを約1時間ハイキングしたところの、岸壁の上から。森の中をずーっとごつごつの岩道を歩いていくと、突然、何の前触れもなく、木々の間に美しいエメラルド色がガラスのように広がり、さらに進んでいくと、木々が途切れ、岸壁の上から眼下に見えたのは、どこまでもどこまでも広がる澄み渡った美しいガラスのような湖の水面でした。
それから私たちは元来た道を戻り、今度は岸壁の下にあるきれいなビーチ(砂浜ではなく、白い石のビーチ)へと向かいました。今度は青い水が地平線のかなたまでずっと続いていました!
私は靴下を脱ぎ、裸足になって水の中に立ってみました。なんて冷たい水でしょう!そして、なんて綺麗に澄んだ水でしょう!
冷たかったのでずっと浸かってられないと思ったのですが、ハウスメイトが一人後から水に入って、
「しばらく浸かっていると大丈夫になるよ!」
と言ったので、私も頑張ってしばらく我慢して水の中に立っていました。すると、しばらくして刺すような冷たさは去り、私は水の感覚を楽しむことができました。ハウスメイトと二人、肩を組んで立って、水平線を見つめながら、私は
「まるで空を飛んでいるみたいだ!」
と、興奮して何度も叫びました。
夜ご飯はキャンプ場でテントの横でバーベキューを楽しみました。インド式のパニール・ティッカ(Paneer Tikka)というベジタリアンのバーベキューでパニールというチーズと野菜を串に刺して焼くものです。いやー、おいしかったです!私はデザートに、昔子供の頃にキャンプで友だちとよく作った「チョコマシュマロ」(マシュマロを火にあぶって、チョコレートと一緒にクラッカーに挟んで食べる)を作りました。かなりの大好評で、皆から次回の予約もいただきました!
その夜は、雲一つなく、空は満点の星空でした。皆で食後、キャンプ場にあった小さな湖に歩いていき、そこでしばらく夜の星空を見て過ごしました。夜空が水面に映り込んで、まるで空の中にいるような気がしました。テントへの帰り道、頭上に北斗七星がまるで降ってきそうなくらい大きく見えて、私はそのあまりの臨場感に思わず転びそうになりました。
二日目、私たちは、朝にキャンプ場から近くにあったグロットー(Grotto)という有名なスポットからヒューロン湖を拝んだ後、午後には車でトバモリー(Tobermory)という場所に移動して、そこからクルーズ船でフラワーポット島(Flowerpot Island)という島へ向かいました。行きは約45分の旅で、近くにあった他の島もいろいろと紹介しながら進んでくれました。
さて、目的地のフラワーポット島に到着する直前、船のアナウンスで、この島の名前の由来が説明されました。
「右手の岩をご覧ください。フラワーポットの形です。」
確かに、驚くべき程、どこから見てもフラワーポット(植木鉢)の形をしていました。大きいのと小さいのと一つずつ、合わせて二つのフラワーポットを確認しました。
船着場に着くと、私たちは歩いて、そのフラワーポットの岩へと向かいました。近くに行くと、その岩の迫力がすごくて、とても「フラワーポット」という可愛い感じではありませんでしたが!
フラワーポットの斜め下に大きな岩を見つけて、私たちはその岩の上に座ることにしました。そこまで来ると、今度はフラワーポットよりも、目の前に広がる湖の迫力がすごかったです。フラワーポットに見守られながら、私たちはしばらく、その岩の上で足をぶらぶらさせながら、水面を見つめて時間を過ごしました。
「まるで空を飛んでいるみたい!!」
私はまた何度も叫びました。私は体全体に溢れる自由な感覚を噛み締めていました。
夕方、クルーズ船でトバモリーに戻ると、私たちはゆっくりと帰路に着きました。こうして、私たちの、短くとも充実した美しいヒューロン湖旅行は無事に幕を閉じたのでした。
エピローグ
帰り道、私たちはトロント郊外のブランプトン(Brampton)でインドレストランに立ち寄り、この旅を締めくくる食事をいただきました。なんと、夜遅くで他にお客さんがあまりいなかったので、私たちだけで一部屋まるまる占領させてくれました!ラッキー☆
そこからオタワまでの帰り道、車の座席の配置替えがあり、私はもう一方の車に乗せてもらうことになりました。この車の運転手さんはとても運転が上手なのですが早いスピードが好きなので、スピードが苦手な私は冷や冷やして車に乗り込みました。案の定、ものすごいスピードで高速を突っ走り、今度は私は一睡もしないで家まで辿り着きました。私の目は終始、道路の車線を分ける白線を追い続けていました。後から聞いたところ、なんと150キロで走っていたとか・・・。あとで「ちょっと怖かった」と言ったら、「なんだ、そんなことならそう言ってよ。もっとゆっくりにしたのに。」と言ってくれましたが、夜遅くに運転するのに自分のペースで運転することは大事だと思うので、仮にオプションがあっても私はやっぱり言わなかったと思います。
とにかく、無事に旅を終えることができて感謝です。
おしまいに今週のフォトレターです。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました☆
今日も、皆様にとって素敵な一日となりますように。
愛を込めて、
オタワの天使
余計なこと
2020年9月13日 オタワにて綴る ー
皆さんこんにちは、オタワの天使です♪
今日、この日記を訪ねてくださったことに心から感謝します☆
本日のオタワは雨降りです。天使の小窓からは雨が屋根に当たって静かにはじける音と、お庭にしとしとと降りしきる雨の音が聞こえてきます。今朝はゆっくりとシャワーを浴びた後、ふと思い立って、ハワイアンミュージックをBGMにかけてみました。やさしく静かな音の感じが、窓の外の雨の音と混ざり合って心地が良いです。
皆さんは、今、どこでどんな一日を迎えていますか?
9月の二週目、オタワはだいぶ秋の香りが濃くなってきました。ちょうど一週間ほど、気温の低めの日が続いたら、いつのまにか蝉の鳴き声は聞こえなくなっていました。代わりに、夕方にはコオロギのような鳴き声が草むらから聞こえてきます。先週は気のせいのように見えていた紅葉の始まりが、今でははっきり目に付くようになりました。とはいえ、まだ緑の葉っぱのほうが優勢ですが。
金曜日の夕方、私はいつもの食材の買い出しがてら、自転車で近くの《Dollarama》(日本の100円ショップのようなお店。1ドルショップということで、品物のお値段はすべて5ドル未満。ちなみに、カナダでは5ドルからお札があります。)に買い物に行ってきました。ハウスメイト一人に頼まれていたノートを買いに、それから、「何か面白いもの」を探しに。
実は、私はこの《Dollarama》が大好きです。アリババの洞窟のように、毎回、必ず新しい発見・掘り出し物があります。前回、8月末に行ったときには、なんと「死ぬ前に訪れたい1000の場所」(1000 Places Before You Die) というタイトルのきれいな日めくりカレンダーをたったの3ドルで見つけ、興奮して買ってきました。2020年が後半に入ったので、安くなっていったのだと思いますが、そうとはいえ、まだあと4か月は楽しめるじゃありませんか!
これは同タイトルのニューヨークタイムズベストセラーの本に付属する日めくりカレンダーで、一日一枚、世界各地の場所が写真と短い解説とともに紹介されています。サイズは日本の折り紙のサイズです。使い始めて3週間ほどになりますが、毎日新しい場所が見えるのでワクワクします。
私はハウスメイトが皆、旅行好きなことを思い出して、共有のトイレ(洗面所、トイレ、シャワーが一緒になっているスペース)に「1000 Places Before You Die」のタイトルページと、その日の日めくりカレンダーを飾ることにしました。毎朝、前の日のカレンダーをはずして、新しいカレンダーを貼り付けます。トイレの真横に貼ってあるので、これで、用を足しながら、世界旅行を楽しむことができます。
金曜日はまた素晴らしい掘り出し物がありました。何気なくおもちゃコーナーを通り過ぎていた時、「光る星」というタイトルの、星の形をした暗闇で光るプラスチックのおもちゃ(日中光を吸収して、暗闇で光るタイプ)を発見。実はこれ、私の子供時代の憧れのおもちゃでした。友達が一人、部屋の天井をこういう光る星で飾っていて、私はいつも遊びに行くたびに「『夜空の星』を見ながら眠れるなんて、いいなあ。」と思っていたものの、私の部屋には『星空』はとうとう実現しませんでした。
その記憶が蘇って、私はこの光る星のパックを一つ買って帰りました。また、同じくおもちゃコーナーにかわいいシールも見つけたので、それも一緒に買って帰りました。
さて、その夜、私は封筒を4枚用意して、家の女の子一人一人に光る星とシールの詰め合わせをプレゼントしました(男の子たちもリクエストがあれば、光る星とシール、プレゼントします!)。早速、翌日、ハウスメイトが一人、部屋の天井に飾り付けた星を見せてくれました。私自身も部屋の窓の上に星を一つ飾って、また、余った二つの星は洗面所の鏡の上に飾りました。思ったほど夜に光ってくれないのが残念ですが、それでも、昼間も部屋の中に星があると明るい気持ちになります。
このように、お金を特に使わなくても、ちょっとしたことで、毎日に楽しみの要素を取り入れることができることを、私は最近改めて感じています。
子供の頃、私は母にはよく
「また余計なことして!」
と呆れ顔で言われたものでした。
がらくたのようなもので部屋を飾り付けたり、新しい歩き方(「馬歩き」、馬のような足音を立てながら歩く)を提案してみたり、猫になったつもりで器から牛乳を飲んでみたり。
大人になってからも、帰省した折に、100円ショップでお菓子を入れる大きな入れ物を買ってきて、
「ここに、家族でやってみたいことを紙に書いて入れてね」
と言ってテーブルの上に置いたら、父から、
「天使がくると、なんだか家の中に変なものがいっぱいできるね」
とのコメントが返ってきました。
でも、頭を冷ましてよーく考えてみると、そして私たちの毎日をよーく眺めてみると、私たちの日々の生活に色どりを添えるものって、ずばり「余計なこと」ではありませんか?私たちの胸を本当にときめかせるものは、案外、役に立つことではなく、それぞれの人の、ちょっとした「余計な」遊び心ではありませんか?
誰かに遊び心を贈る。そして誰かから遊び心を受け取る。
私は、これからも、そういう「余計なこと」がある生活を選んでいたいと思います。
皆さんは、今日どんな「余計なこと」をしますか?そして、その「余計なこと」を誰と分かち合いたいですか?
おしまいに、今週のフォトレターです。
買い物に出かけた時、外に並んで立っていたら、目の前にコスモスが咲いていました。
先週、部屋で作業をしていたら、ハウスメイトがやってきて、「これあげる」とかわいい桃を一つプレゼントしてくれました!あんまりかわいかったので、写真のモデルになってもらいました。
よくリドー川の川辺で会う、大学の親しい友人が、先日、ブルーマウンテン(Blue Mountain)というヒューロン湖湖畔の行楽地に旅行に出かけてきて、素敵なコースターをお土産にプレゼントしてくれました。天然の石からできていて、窓辺に置いたら、私の「親愛なるメープル」が映り込んで、それはそれは美しい模様が見えました。お気に入りの品です♡
光る星とシールの詰め合わせが入った封筒。そして、翌日、私のドアの下に返信封筒を発見。中に入っていたのは・・・
バイトの帰り道、ハウスメイトが近所の道端で見つけた木の葉っぱです。インドでは「知識と教育」のシンボルだそうです。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございます☆
今日も、皆様にとって素敵な一日となりますように。
愛を込めて、
オタワの天使
家族のかたち
2020年9月6日 オタワにて綴る ー
皆さんこんにちは、オタワの天使です♪
今日、この日記を訪ねてくださったことに心から感謝します☆
九月になりました。九月になりましたね。皆さん、新しい月の始め、どんなことを感じて過ごしていますか?
私の部屋の壁に掛けてある暦によると、今週の水曜日は満月でした。ちょうどその前日の夜に、外に出てみたら、Experimental Farmの広大な平らな地平線の上にきれいにまん丸のお月様が見えて、私はそれを今月のお月見として大事に心に収めました。皆さんは、今月の満月はどこでどんな風にお目にかかりましたか?
オタワでは八月末から少しずつ秋の気配が漂ってきて、この一週間ほどは、気温も15℃から20℃の間の日が多かったです。夏の湿気もだいぶ引いてきて、外はからっとしたさわやかな空気が気持ち良いです。とはいえ、夏もまだ去ってしまったわけではなく、ここ数日は夕方に毎日夕立が降っています。蝉の声も、かすかになってきましたが、まだ時々聞こえます。でも、それにも増して、秋の訪れがはっきりと感じられるようになってきました。最近では鈴虫の声が目立って聞こえますし、そうそう、先日は近所の道を歩いていた折に、今年初の赤く紅葉した葉っぱを木のてっぺんに見つけましたよ!
私たちこの家の7人は皆元気に九月を迎えることができました。最近、私たちの家の中で 『Buy Nothing』(直訳:『何も買わない』)というものがはやっています。これはオンラインのコミュニティで、いわゆるガレージセールのオンラインバージョンとも言えるかもしれませんが、もっと画期的な中身です。地域ごとにグループがあり、そのグループに、要らなくなったものを出す人と、欲しいものがある人が集まってきます。この辺りは普通のオンラインショッピングと似ていますが、『Buy Nothing』のすごいところは、お金のやりとりが一切生じないことです。つまり、『Sell for nothing, buy for nothing』(無料で売り、無料で買う)ということ。
少し前に、ハウスメイトが友だちからこの『Buy Nothing』のことを聞いてきて、ぜひ私たちも使ってみよう!と興味津々で使い始めました。何か欲しいものがあると、「Wish List」に名前を載せて、誰かがその品物を出すのを楽しみに待ちます。誰かがそれを出品すると連絡が来て、他に欲しい人がいなければ契約成立、日時を決めて車か自転車で受け取りに行きます。以来、調理スパイス小瓶セットに始まり、椅子、XBox(ゲーム)、そして最近は本棚など、家の人たちは必要なものや欲しかったものをいろいろとこの『Buy Nothing』を通して受け取りました。私自身はまだ使ったことはありませんが、ハウスメイトが活用するのを見て、なかなか良いシステムだなと思って見ています。お金がかからないだけではなく、そこに物を出品する人もその物に思い入れがあったりして、「贈り物」という感じがするところがとても良いです。
さて、この日記によく登場する私の6人のハウスメイトですが、最近、私は彼らの存在に対して改めて感じることがありました。それは「家族」という気持ちです。
「家族」という気持ち ー。 それは一体何でしょうか。
天使の生まれ育った国日本では、血のつながりというものをとても大事にします。家族とは血のつながり、という考え。
また、法律上での関係性を家族と考える見方もあります。
そしてよく聞かれる、「結婚して新しい家族を持つ」という言い回し。
こういう風に考えていくと、それ以外の関係性は、それがどんなに深いものだとしても、「家族」ではない、という気がしてきます。それは「友情」かもしれないけれど、「家族」ではない。「家族のような」関係かもしれないけど、「本物の家族」ではない。どんなに素晴らしい関係性だとしても、それは「家族」ではない。そういう考え。
私もこれまで、そのような思い込みのもと、心の中でハウスメイトのことを「家族のような」と表現していました。でも、先日、私はふと思いました。
「そうじゃないな。『家族のような』じゃない。私のハウスメイトは、今私の『家族』そのものだ」
毎日朝起きて、初めて会う時に「おはよう」と言う。
夜寝る時に「おやすみ、良く寝てね」と言う。
お互いの日課、癖、好物、嫌いなものを知っている。
「ご飯を食べたか」と声を掛ける。
外から帰ってきたら、誰かがドアを開けて「おかえり」と言ってくれる。
お互いがいつも何時に寝て何時に起きるか知っている。
元気な時、あんまり元気じゃない時、何も言わなくとも、気が付く。
誕生日の日は必ず皆で集まってお祝いする。
それぞれの大事な日は、皆でお祝いする。
お互いが今どんなことに挑戦していて、どんなことが困難か、見守っている。
先日、私は外で友だちと会って帰ってくるとき、ご飯も作っておらず、遅くなってしまったので、どうするかなーと思いながら家に帰りました。とりあえず、ご飯は炊いてあったから、なにか簡単に作って食べよう、と決めて戸口に立って鍵をガチャガチャし出したら、まず、ハウスメイトが一人私に気づいてドアを開けてくれました。中に入ってリビングに行くと、皆がご飯をちょうど食べ終わるところでした。私が通りすがると、
「天使、これ食べる?」
と残っていたお皿のおかずを勧めてくれました。
「うん、食べる!」
と言って、手を洗って椅子に座ると、別のハウスメイトが「これも食べな」と他のお皿も勧めてくれました。泣きませんでしたが、実は涙が出るほど嬉しかったです。
その時、私の胸に浮かんだ言葉は、
「私にも、帰ってくる場所があったんだ。」
その夜のことは忘れられません。私に大事なことを思い出させてくれた夜でした。
私のハウスメイトは私の友達であり、家族です。この家族は外から見たら、血もつながっていないし、法律的には単に同じ屋根の下に住んでいる同居人だし、さらには、一時的です。いつかは、それぞれに結婚したり、家を買ったりして別々の屋根の下に分かれていく日がくると思います。でも、大事なことは、今この瞬間に、私たちは同じ屋根の下に住む立派な「家族」だということです。「家族のような」というまがい物ではなく。そして、それは一時的であっても、素晴らしく価値のあることです。
皆さんにとって、「家族」とは何ですか?それはどんな場所ですか?
おしまいに、今週のフォトレターです。
今週はあんまり写真を撮っていませんでした!これ一枚しかお届けできず、ごめんなさい。次回はもう少しいろいろな写真が届けられるようにします☆
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました☆
今日も、皆様にとって素敵な一日となりますように。
愛を込めて、
オタワの天使
ガネーシャ祭
2020年8月23日 オタワにて綴る -
皆さんこんにちは、オタワの天使です♪
今日、この日記を訪ねてくださったことに心から感謝します☆
8月もいよいよ後半に差し掛かりました。本日のオタワは昨日の蒸し暑さが和らいで、過ごしやすい穏やかな気候です。午前中鳴いていた蝉や他の虫たちが今は静まり、外には一時の静けさが訪れています。下のリビングからは何やらスポーツ観戦のような声が聞こえてきますが、いったい何のスポーツでしょうか。
皆さんはこの二日間どんな週末を過ごし、また、これからどんな新しい一週間を迎えていますか。
昨日22日はインドのガネーシャ祭の第一日目でした。ガネーシャ様はヒンドゥ教の神様の一人で、ガネーシャ祭はこの神様にまつわるお祭りです。毎年、お祭りの日取りは変わるそうですが、今年は8月22日から5日間が祭日。第一日目はガネーシャ様を家にお迎えする日、そして5日間の滞在を経て、最終日はガネーシャ様が旅に立たれる日。
このお祭りの前、それぞれの家ではガネーシャ様が安心して滞在できる小さなお家をつくり、お祭りの初日に土の粘土で模られたガネーシャ様の像を家の外から中へ掛け声とともにお迎えします。この日から5日間、家の人たちは毎朝、毎夕、ガネーシャ様にお食事をお供えし、お祈りを捧げます(この期間は、ガネーシャ様は私たちの家のお部屋一つ一つをよく見て回って祝福してくださるそうです)。そして、最終日の旅立ちの日には、ガネーシャ様は好物の甘いお菓子ラッドゥ(Ladoo)とともに旅に立たれ、それぞれの家ではガネーシャ様の像を水に沈めて一時のお別れを告げます。
1か月前頃、たまたまハウスメイトの一人の部屋を訪ねた時、彼女は私にこのお祭りのことを話してくれました。そして、実はこのお祭りをこの家で実現したいと思っているんだ、ということを、恐る恐る、しかし力強く話しました。オタワ市内にガネーシャ様の粘土像を作っているアーティストがいることを知って、その方に粘土像を一つ注文したいと考えているんだ、と。
でも、果たして他の人たちはこの計画が気に入るかな?それから、もしこのお祭りを執り行うとしたら、ガネーシャ様のお家を作らなければいけないのだけど、できるかな?
ハウスメイトは心配な点を2つ口にしましたが、私は考えるより先に、彼女の両手を握っていました(なぜか、私は彼女と話すときにはいつも両手を握ります。傍から見るとちょっとドラマチックなようですが(笑))。
「それは、とてもいい考えだよ。皆もきっと気に入るよ!」
そして、家づくりについては、
「段ボールを使えば作れるよ!ほら、地下室にいっぱい転がっているでしょ、あれを使おうよ。」
それから数日して、ハウスメイトは笑顔で「お祭りをやることになったよ!」と報告してくれました。アーティストの方とも連絡をとって、どのサイズ、どのデザインがいいか今相談している、と。
そして今週月曜日からは、私たちのうち工作好きの数人が毎晩リビングに座って、段ボールで家を作り始めました。地下室からガーデニング用と思われる段々も発掘して、家の骨組みをその上にこしらえました。三角屋根のデザインで、煙突も作りました。壁紙には私が普段から集めていた色々な包み紙を切って貼り、屋根は、別のハウスメイトのひらめきで、本物の家の屋根のように、2種類の色を組み合わせて「瓦」を貼りました。最後、床は緑色のきらきら光る包み紙を見つけたので、それを敷きました。
金曜日は準備の最終日。日中にはハウスメイト二人がお供え物のラッドゥを作り、夜にはアーティストの方のお家からガネーシャ様の像(手のひらに乗るようなかわいいサイズでした♡)を受け取りました。その後、段ボールのお家を豆電球で飾り、ハウスメイトの友だちが摘んできたお花で花飾りを作りました。
そして22日土曜日の朝 -。
10時過ぎ、私はインドの准正装のクルタに身を包み、ハウスメイトとお花を摘んできた友だちと一緒に三人で家の外のドアのところで位置に着きました。ハウスメイトの手には布でお顔を隠したガネーシャ様の像。
家の奥からガネーシャ様お迎えの音楽が鳴り響き、もう一人のハウスメイトがお盆に蝋燭とターメリックと一握りのお米と神聖な紐を載せてやってきました。儀式の始まりです。
「Ganpati Bappa Morya!! (ガンパティ バッパー モーリヤー!!)」
ガネーシャ様の像を両手に乗せたハウスメイトが大きな声で掛け声をかけると、私たちもそれに続き掛け声をかけました。
掛け声をかけながら、私は体全体に鳥肌が立つのを感じました。
その瞬間、私はこの日のために皆で日々重ねたささやかな準備の時間がこの瞬間につながるのを感じ、また、家の皆の心がひとつになるのを感じました。
そして、大事な記憶が私の体全体に蘇えってきました。
子供の頃、お祭りで皆で「わっしょいわっしょい」と言いながらお神輿を担いだ時の記憶。綱引き大会でクラスの皆で掛け声をかけながら綱を引いた時の記憶。学芸会で数か月かけて皆で準備した出し物を父兄の前で披露するときの特別な高揚感。
突然、私は体の奥底で「私たちがお祭りをするのはこの気持ちを経験するためなんだ」と思い至りました。
普段はそれぞれの生活だけれど、一緒に準備を重ね、一つのイベントを迎えることによって生まれる、自然で不思議な言葉を超えた繋がりの経験。この世界で一緒に生きていることを確認しあう体験。
改めて、このような伝統的なお祭りを身近な人々と一緒に執り行うことの意味の深さを思い知りました。
皆さんの周りには、どんなお祭りの機会がありますか?そこでどんな人たちとつながりますか?
おしまいに今週のフォトレターです。
こちらが私たちが用意した段ボールのお家です。画面左下に見えるのがラッドゥ(Ladoo)。ナッツの香りのする、甘くておいしいお菓子です。
大事なイベントには必ずこの二人も参加します。誰よりも良い場所を見つけるのが上手!
ちょうど今はリンゴの木に実がたくさんなっています。写真は近所のリンゴの木の様子です。リンゴのサイズは手のひらに乗るくらいで、味は - 酸っぱいです!
最後までお読みくださり、本当にありがとうございます☆
今日も、皆様にとって素敵な一日となりますように。
愛を込めて、
オタワの天使
星空旅行
2020年8月16日 オタワにて綴る -
皆さんこんにちは、オタワの天使です♪
今日、この日記を訪ねてくださったことに心から感謝します☆
ここのところ数日ほど、オタワは心地よい晴れ日が続いています。週の中、雨も降ったので、植物たちも疲れすぎず、生き生きと元気な様子が見られます。最高気温は30℃を下回るようになり、最低気温は16℃くらいまで下がってきました。
皆さん、お盆のこの週末はどこでどんな風に過ごしましたか。カナダの日付では昨日がちょうどお盆でしたが、私はふと思い立って、歩いて10分ほどの近所にある小さなアイスクリーム屋さんに夕方一人で出かけてきました。このアイスクリーム屋さん、有名ではないようですが、昔ながらの近所のアイスクリーム屋さんといった感じで、味もとてもおいしいのです。でも、それなりのお値段なので(レギュラーコーン、日本円で400円くらい?)、そんなに頻繁には手を出しません。でも、昨日はお盆ということで、「お萩の代わりにアイスクリームも悪くないか。」と散歩がてら、アイスクリームを食べに行ってきました。20分くらい並んで、大好きなミントチョコレートのアイスクリームをレギュラーコーンで頼んで、それを歩道に立ちはだかって、黙々とおいしくいただきました♡ この夏の初アイスクリーム、そしてたぶんこの夏最後のアイスクリーム。これで、悔いなく夏の終わりを迎えることができそうです。
さて、星空ウォッチャーの皆さんはご存じかと思いますが、今週はペルセウス流星群の観測に適した一週間ということでした。それに合わせて、11日火曜日の夜、私は他のハウスメイト4人と一緒に、ハウスメイト一人が最近買ったばかりのトヨタの車でオタワから車で約2時間のところにあるFrontenac Dark Sky Preserve (https://www.northfrontenac.com/en/open-for-business/dark-sky-preserve.aspx#)
という場所に星空観察に出かけてきました。
夜9時、長そで長ズボンの身支度を整え、夕ご飯を食べ、スナックとチャイと毛布を車に積み込んで、出発。高速に乗ってしばらく行き、いくつかの小さな集落を通り過ぎて進むうち、いつの間にか、道路からは電灯がなくなり、反射板だけになり、代わりに窓の向こうにたくさんの星たちが姿を現しました。ハウスメイトが二人、「怖ーい話」をして、二つ目の話の最後のクライマックス、指が一本なくなった母親の幽霊が息子を訪ねるシーンで「どうして指がないんですか?」と尋ねる息子に「それはお前がとったんじゃー!」と答える母親のセリフとともに、母親になりきったハウスメイトが座席の向こうからこっちの方に飛び込んできました。「おー!!!」とびっくり仰天して、座りなおそうとする私の下で車がちょうど曲がり角を曲がり、がったんと揺れました。そして、私たちの車は無事、目的地の星空観察の駐車場に到着したのでした。
Frontenac Dark Sky Preserveはまったくの平原にあり、その名の通り、あたりには明かり一つありません。車から降り立つと、私たちは数えきれないほどたくさんの星の下に立っていました。そのど真ん中には白くかすむ天の川。隣りでハウスメイトが「信じられない。こんなの見たことない」とつぶやきました。そして「これこそ、私たちの存在が単なる物理的な体以上のものだっていう証拠だよ」と力強くささやきました。
この日は私たちの他にもたくさんの人たちが流星群を見に来ていました。その人たちの間に混じって、草むらにスペースを見つけると、私たち5人は持ってきた毛布を2枚並べて敷き、その上に並んで横になりました。そして、さらに3枚目の毛布を上からかけて防寒・防蚊対策。
横になってしばらく空を見上げていてようやく私は自分の今見いているものが何だかわかってきました。よく、飛行機に乗って国を移動すると、初めのうち自分が一体どこにいるか実感が湧かない時間がありますが、それと似たような感じで、突然の変化に実感が追いつくのにしばらくの時間がかかりました。遮るものが何もない、360度パノラマの夜空。そして、雲もなく澄み渡った夜空。そして、さらに満点の星空。目の前には上から下に向かって白く天の川が流れていました。左の方を向くと北斗七星のひしゃくの形。そして右上の方を向くと、あれはたぶんオリオン座のリボンの形。寝転がったまま、首をぐるりとまわして、私は星がいっぱいの空を上から下へ、右から左へ、左から右へと見まわしました。そして、星と星の間に広がる真っ黒の空の色を見つめました。
そして、私たちの目の前を流れていく流れ星。さっと流れていくのもあれば、長く尾を引いて時間をかけて流れていくものもありました。そして、流星が流れるたび、草むらには歓声が起こりました。「おー!」「あー!」ー流れ星を見つけられた人も、見逃してしまった人も、とにかく声を上げていました。近くにはスペイン語を話している人も、中国語を話している人もいて、そして私たちのグループは私以外はヒンディ(私は頭の中で日本語)を話していたので、なかなか国際色の豊かな観測会でした。
時々、新しい人が車で到着すると、そのヘッドライトがまぶしくて、草むらからは「むーむー」というブーイングの声が聞こえたりもしました。暗黙のルールを忘れてまぶしい懐中電灯を持ったままの人がいると
「ちょっと、電気消してくれる?」
と注意の声が上がったり。
私たちは星空を見上げながら持ってきたポテトチップスを食べたり、魔法瓶で持ってきたチャイをいただいたり、ピクニックも楽しみました。誰かが立ち上がるとそのシルエットが星空の中に浮き上がるので「まるで宇宙にいるみたいだ!」と私は叫びました。
天の川を見上げながら、私は子供の頃、仲良しの友だち二人の家族と一緒にキャンプに出掛けたことを思い出していました。7歳の頃から16歳くらいまで、毎年、ちょうど八月のこの時期に近くのキャンプ場にキャンプ旅行に出かけるのが恒例行事となっていました。いつもいつも天気に恵まれたわけではありませんでしたが、その中に2回、満点の星空が見えた年がありました。一回目は9歳か10歳の時、夜に歯を磨きに何人かでキャンプ場を歩いていた時、小さな小川の上の橋を渡るところで誰かが「天の川だ!」と言いました。見上げると、空に白い筋が見えました。「天の川が見えるなんて、すごいねー」と誰かのお母さんが言いました。私は一言もしゃべらず、「これが、天の川なんだ」と感心していつまでも空を見上げていました。
二回目は14歳の時。夜、大人たちが皆テントに入った後、私と二人の友だちはいつまでも満点の星空を眺めていました。ずっと見ていたかったけれど、だんだん寒くなってきて、私たちもテントに戻ることにしました。一人が先に去って、私ともう一人の子が「じゃあ、おやすみ」と言ったとき、何か光るものが広い夜空を駆け抜けていきました。友達がこっちを見て「今の、流れ星だったよね?」と大きく目を見開いて興奮した表情で言いました。私は「うん」と深く頷きながら、「これが流れ星なんだ!」と興奮して何度も何度も心の中で叫びました。
以来、満点の星空は私の憧れかつ夢です。高校では地学部に入り、毎年夏に合宿に出かけるたびに、ひそかに「満点の星空」を楽しみに夢見るのでした。ところが、高校の時は三回とも天候に恵まれず、私はとてもがっかりしたのを覚えています。
そしてこの8月。私は再び、満点の星空と出会うことができました。なかなか出会えない割には、なんだかずっと見ていたような気がするから不思議です。
深夜12時を回ったあたりで、足元の方に強い黄色の光が差し込み、なかなか消えないので、私は「いったいどこの誰がいつまでもヘッドライトをつけっぱなしにしているんだろう?」と体を起こして光の源の方を見やりました。そして見えたものは -
月でした。
地平線に昇ったばかりの、真っ黄色の半月があたりを煌々と照らし出していました。
ちょうど地面に座った私の目の高さのところに月が見えて、まるでこのままこの草むらを歩き続けたら月に辿り着きそうな感じがしました。
「まるで宇宙旅行をしているみたいだ」
360度ぐるりと囲む星空と、草むらの向こうに見える黄色い半月を見つめながら、私は本当にそう感じました。
しばらくして、月の光が強くなると、だんだんと星たちが見えなくなっていきました。私たちは1時半頃、静かにこの星たちの世界に別れを告げ、車に乗り込むとゆっくりと家路に着きました。
おしまいに今週のフォトレターです。
木曜日はハウスメイト一人の誕生日でした。夜に家の皆とそれぞれの友だちが集まって、小さなハウスパーティが開かれました。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました☆
今日も、皆様にとって素敵な一日となりますように。
愛を込めて、
オタワの天使
「ない」がある生活
2020年8月9日 オタワにて綴る -
皆さんこんにちは、オタワの天使です♪
今日、この日記を訪ねてくださったことに心から感謝します☆
本日のオタワは数日ぶりに雨降りの日。鳥たちも虫たちも今日は静かにどこかで雨宿りをしているでしょうか。窓の外には雨のしとしと降る音だけが静かに響いています。
8月に入ってから、木々の葉の緑色がこれ以上ないほどとても濃くなり、何となく、日の光の色具合などからも、もう夏の終わりが間近なことを肌で感じるようになりました。午後の強い日射しや、賑やかな蝉の鳴き声を聞きながらも、なんだか夏の花火大会の最後の10分間を見ているような感じで、胸には名残惜しい気持ちが押し寄せてきます。
天使の故郷の東北地方ではいよいよ夏の暑さが本格的に始まったとききました。皆さんのお住いの場所では、今週はどんな気候の変化が感じられましたか。
3年前にオタワに住み始めてから、私は毎年7月の半ばから8月にかけて、日本の故郷に帰省して夏の盛りの暑い時間を両親の家で過ごすことが一つの習慣になっていました。いつもちょうど今頃は、久しぶりの日本での濃ゆい時間を終えて、故郷の七夕祭りの飾りに見送られながらオタワに戻ってくる頃です。今年はコロナウイルスの影響で、初めて、ずっとこちらオタワで過ごす夏となりました。
普通だったら、私が帰国しないと言ったら、日本の両親は
「えー、なんでなんでなんで!」
と大騒ぎになりそうなところ、今年はパンデミックということで、わりとあっさりと、
「こういうことだから、仕方ないね」
と、何の騒ぎもなく、落ち着いた感じで一時帰国なしの夏が互いに了承されました。
周りの人も誰も遠くへ出かけていないので、私としても何も「逃した!」という感覚がなく、不思議と落ち着いた心持ちで、与えられたこの夏の時間を隅々まで味わいながら過ごしています。
それで一つ、思い当たったことがありました。
日本に「帰れない」ことで味わえている豊かな感情があるなあ、ということです。
いつも、夏が近づいてくると帰国の日程を決めたり、飛行機を予約したり、帰国している間に誰にいつ会うかを考えたり、とやることが沢山あって、私はよくプレッシャーを感じて気が滅入ることがありました。帰国して馴染みの場所を訪れたり、馴染みの皆に会うのは楽しみなはずなのに、肝心のそのことに思いを馳せることができず、毎日、忙しくやることのリストをこなしていく。そして、出発の日まで、荷造りで四苦八苦して、
「うわーん!!もう嫌だ!もう帰らなくていい!」
と最後は心の中で泣き叫びながら、走って家を出発。飛行場でチェックインして、出発ロビーのソファに座ってようやく我に返り、
「ああ、これから日本に行くんだ。え、本当に日本に行くんだ?」
と驚きながら、飛び立つのがパターンでした。飛行機の中では、これから久しぶりに過ごす日本での時間に思いを馳せて楽しみな気分に浸りたいのに、徹夜の荷造りがたたって、その気分に浸る間もなく就寝。気が付けば、日本到着。東京の暑い熱風を味わい尽くす間もなく、そのまま新幹線に乗って故郷へ。
今年は、そのどれもありませんでした。旅の日程を決める必要もなく、飛行機のことを考える必要もなく、誰にいつ会うかを決める必要もありませんでした。
代わりに、私はいつもこの時期に家族と過ごす日本の夏の時間にゆっくりと思いを馳せました。大好きな日本の食事の一つ一つ、両親の家の湿気に満ちた夏の匂い。新幹線に乗って故郷へ向かう時の気分。出張帰りの人が食べる駅弁の香り。家族でよく行く温泉のこと。お風呂上がりのシーシーレモンの味。車に乗って親戚の家のある関東地方へ出かける時のこと。おいしい手作り弁当。あたり一面に広がる、田んぼの風景。視界に広がる物静かな山々の存在感、そして、近くに感じる太平洋の海の存在感。鳴きやまない蝉の声。おいしい夏の果物 - 桃、梨、ぶどう、すいか、メロン。おいしい夏のおつまみ - 枝豆。おいしい夏の和菓子 - 草餅とおはぎ。 そして、私の大好きなモナカアイスクリーム、「モナ王」。各地の夏祭りの賑わい。花火の音。
ひとつひとつ、じっくりと思い出していると、まるでそれを本当に今体験しているかのような気持ちになり、とても暖かな感情が胸の奥から押し寄せてきます。実際に日本に行っていた時には感じきることのできなかった感情が、こうして今、味わえていることの喜び。
私たちの生活の中で、何かが「ない」時、それは、今目の前に「ない」そのものと、本当に深いレベルで触れ合うことのできる有難い時間なのかもしれません。「ない」がやってきたとき ー それは物かもしれないし、人かもしれないし、出来事かもしれない - それは、胸の中の静かな場所でその対象と本当の意味でつながることのできる滅多にないチャンスなのかもしれません。
今皆さんの手元にある、「ない」は何ですか?
おしまいに、今週のフォトレターです。
八月三日はインドのRaksha Bandhanというお祭りの日でした。この日は伝統的に、女の子が男兄弟の手首にRakhiという飾りを結ぶ日なんだそうです。でも、最近では姉妹同士や近しい友だち同士でもRakhiを結ぶようです。ハウスメイトがインドから取り寄せたRakhiを結んでくれました。
こちらは、別のハウスメイトが作ったRakhi。お気づきになりますか?そう、モチーフは日本の折り鶴です。今、私を含めた家の何人かで千羽鶴を作るプロジェクトに取り組んでいるのですが、そこからインスピレーションを得て、こんな素敵なRakhiが生まれました。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました☆
今日も、皆様にとって素敵な一日となりますように。
愛を込めて、
オタワの天使
お掃除のこだわり
2020年8月1日 オタワにて綴る -
皆さんこんにちは、オタワの天使です♪
今日この日記を訪ねてくださったことに、心から感謝します☆
八月になりました。私にとって、八月と言えば、夏の本場到来です。思い浮かぶことは、学校の夏休み、プールの匂い、濃く茂った木々の緑、体からしたたる汗、草の香り、蚊取り線香の匂い、激しい夕立、雷の音、空から降ってくるような蝉の鳴き声、夜の賑やかな虫たちの鳴き声、夏祭りの興奮、花火の広がる夜空。
日本から太平洋とプレーリーを隔てたここオタワも八月は夏の盛りです。私は、オタワの夏があまりにも日本の夏を思い出させることにびっくりします。いちばん似ているのは、湿度の高い空気と、草の香り、そして、虫の鳴き声です。特に、蝉は世界のどこにでもいるわけではないのに、ここオタワではアブラゼミの声がよくきこえます。そして、夜になると、日本の夏の夜によくきこえるような、ジーっという虫の鳴き声と、その後ろで鳴るリンリンリンリンリンという別の虫の鳴き声。目を閉じて、音と匂いに集中すれば、日本にいるような錯覚を起こしてしまいそうです。
新しい月の始まり、皆さんはどこでどんな時間を迎えていますか。
先月、7月いっぱい、私は家で掃除当番を受け持ちました。私たちの家では、各自の部屋は各自で掃除しますが、リビングやキッチンなどの共有スペースは当番制になっていて、毎月、誰かが家全体の掃除の責任者として家の状態を見守ります。
実は、私は子供の頃から、掃除が大好きです。大好きというか、それを超えて、ちょっとオタクの域に入っているかもしれません。小学校の頃、放課後に5、6人のグループで校舎のいろいろな場所を掃除するのが決まりでしたが、早く家に帰りたい他の人たちをよそに、私は細かいところまできれいにするのにこだわるので、途中からけんかになってしまったこと。親戚の家に遊びに行って居間でお茶をいただいていると、何年も掃除せずに誇りのたまった扇風機や、手垢で黒ずんだリモコンが目に入ることがあります。そういうアイテムをひとつひとつ、皆のおしゃべりに「うんうん」と相槌をうちながら、ウェットティッシュを手にしてピカピカになるまで磨きつくすことは私の密かな楽しみ。掃除の中でも私の一番のお気に入りはトイレ掃除。昔、祖母の家に遊びに行ったとき、トイレの汚れが気になったので、いろいろ道具を借りて掃除したことがありました。完全なる趣味の領域でしたが、終わると祖母が真剣な顔でやってきて、私にお小遣いの入った封筒を渡し、「よそ様のトイレを掃除するっていうのは、なかなかできるもんじゃないよ」と褒めてくれました。嬉しかったものの、私は「なんでそんなに感心するかなぁ」と首を傾げたものでした。大学に入ると、私は大学生定番の個人教師の仕事が肌に合わなかったので、代わりにトイレ掃除のバイトに申し込み、一年間、毎朝、オフィスビルのトイレを12個磨きながら過ごしました。体力的にはきつかったものの、トイレをきれいにすることには特別な喜びを感じました。
私には、お掃除に対して感じる一つのロマンがあります。そのロマンとは、綺麗に手入れの届いた場所は人の心を元気にする力がある、というものです。そして、トイレはそのロマンがいちばん溢れる場所です。
昔学校に通っていた頃、休み時間にトイレにしゃがみながら、他にすることがないので私はよく床や壁の隅々を観察しました。そして、床や壁が綺麗だと、なんだか心が落ち着いて、逆に汚いままになっていると居心地が悪く感じたものでした。それからというもの、自分が掃除当番になるときは、汚れ一つ残さず隅々まできれいにすると心の中で厳かに誓いました。そして、実際にきれいになった後に、誰かがトイレを気持ちよさそうに使うのを見るのは最高の喜びでした。
家や学校や仕事場の衛生は、心の衛生のたまご。
大事なのは、見た目の美しさもさることながら、手入れが行き届いているということ。きれいに掃除された場所に身を置くと心が元気になるのは、その場所を誰かが気にかけて手を入れてくれたということを身体の奥で感じるからだと思います。これぞ、お掃除に秘められた、魔法のちから。
このロマンを胸に、先月いっぱい、私は家のあちこちで気になっていた汚れを取り除くことに力を注ぎました。掃除に心の安らぎを見出すもう一人のハウスメイトとともに、台所の黒くなっていた壁を白く磨き上げたり、以前住んでいた人たちが置いていったものでごちゃついていた棚や、靴置き場を整理したり。かなり満足のゆく改善が見られ、それを目にした他のハウスメイトたちも顔が輝いていました。
「しかし、お掃除の魔法のちからはこれからなのだ。」
私はひとり、心の中でにんまり笑います。
頭が掃除のことを忘れ去った後も、日々の生活の中で、白くなった壁や、すっきりした棚たちは私たちの心を明るくし続けてくれます。それが何よりの楽しみです。
皆さんの周りにはどんなお掃除の魔法が感じられますか?
おしまいに、今週のフォトレターです。
私が金曜日の夕方にお掃除プロジェクトをしていたら、なんとハウスメイトが夕ご飯をプレゼントしてくれました。サプライズ!この日のメニューは、「レンツ豆のカレーとご飯」。おいしかったです!!
Parle Gはインドの定番ビスケットで、チャイと言えば、「Parle G!」という感じです♪
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました☆
今日も、皆様にとって素敵な一日となりますように。
愛を込めて、
オタワの天使